ロータリーエンジンDIY応援&パーツ供給救援プロジェクト!

ページ一覧

2016年6月12日日曜日

見極めの問題

氏子転落死 弁護士が宮司への告発状提出
http://mainichi.jp/articles/20160526/mog/00m/040/006000c


読んでいただければわかるが、この弁護士は部外者である。

この一連の祭りには氏子さんしか参加できない。
しかも乗る人は決まっているそうで。

面白いのだが某SNSでは
「野蛮な風習を習慣や歴史として許していいのか?」という視点から語る人がいる。それは
『正義』なのかもしれない。

だが、これは自主参加だ。首根っこ捕まえて無理やり木に乗せたりしているわけではない。
人も巻き込んでいない。
死者が出るような物騒な祭りならだんじりをはじめ、他人を巻き込んだり、
家屋を破壊するようなものはもっとある。


自分は『宗教のデメリットを見る』ことに非常に気を遣う。
だが否定はしない。
キリスト教は何万殺した?神を否定した共産主義は何万殺した?
信仰は己の中へと深まっていくべきであり、
外へ金へ権力へ向かうのは暴走である。
ヨーロッパがすでにお手本お見せてくれているじゃないか?
虐殺、戦争、植民地支配、差別、教会の権力と腐敗・・・・

この御柱祭は強制ではない。だから黙っていることだ。

インドのセンチネル族は接近する者を攻撃し排除し、接触を拒む。
この弁護士の行動やこれに共感できる人は
「遅れた野蛮な土人に現代的な生活をさせてあげましょう。そのためには強襲上陸し、抵抗する者の制圧だ」
という意見に反対する権利がなくなる。

インドはセンチネル族の自治を認め、領有はしているが、基本的に何もしない。
自然災害などがあった時に物質投下でも弓矢をヘリに射ってくるような部族だ。
インドは『共存すらしないならそっとしておく』という選択をした。

『組体操』と並べてきた人もいた。
面白い。

でもこれは簡単だ。組体操は健康な子供ならば拒否できない。
某なんちゃらの証人くらいだろう。
もうこの参加の是非を選べない時点でダメだ。

祭りには『死の狭間で生を確認する』野蛮かもしれないが純粋な意味合いもある。
昂ぶりと陶酔は熱を帯び、純化する。
金をせびり、おかしな仏壇やグッズを買わせるまがい物よりよっぽど綺麗でわかりやすい。



















上の動画はWRCにかつて存在した『グループB』の記録である。
重量は900㌔を切るペラペラのパイプフレーム(ボディはかぶせてるだけ)に
500馬力を超える化け物エンジン。
静止状態から時速100㌔までの加速はターボ時代のF1よりも速かった。

そんな『異物』が公道を、今よりもずっとお粗末なタイヤと安全意識で
砂利道を飛んでいたのだ。
観客も巻き込み、ドライバーも死亡事故が相次ぎわずか5年で幕を閉じた。
当たり前っちゃ当たり前だ。危険極まりない。

ラリーは4輪のモータースポーツでは断トツの死亡率を誇る。
日本ではあまり馴染みがない(パリダカのようなものを連想する人がほとんどでしょう)が
ヨーロッパなどでは「車の売り上げを決める」ほどに人気がある。

一般公道で「速い」から「性能がいい」という単純明快な考えだ。
サーキットでの速さで一般車の性能は決まらない。

速いだけでは勝てない。
強い車とドライバーが最後にゴールしなければいけない。
同じ所をグルグル回らない。読み上げるペースノートで
目隠ししても走れるような人間が
『奇跡を起こし続ける』スポーツだからだ。

観客も巻き込まれたら『自己責任』である。
補償もクソもない。
だが鉄の棺桶が走る様をみな楽しんできた。自動車の歴史とともにラリーはある。


今はグループBこそ廃止されたが、
この弁護士たちの理屈ならラリーは即刻中止要請、JAFを訴えるべきだろう

拒否できるか?
巻き込まない環境か?

ここだけを見つめればわかることなのだがね。
非日常と日常の狭間とはそういうものだ。
『ハレ』と『ケ』
この弁護士たちは祝い事で鯛食べたりしないのかねぇ。ニヤニヤ


0 件のコメント:

コメントを投稿